プサイ空間ブログ



瀧口修造資料 資料リストに追加しました。              2018.09.21

 

  国立近代美術館の「瀧口のみつめた仲間たち」の小展示をみました。名前が大きな人を敬遠したがるのは私の悪い癖ですが、今回のは岡崎和郎、赤瀬川原平、野中ユリらの作品も含むすっきりとした展示でした。このついでに松澤文書中の瀧口修造資料をまとめてみました。

 

(春)2018.09.21

 

(研究者の方などご覧になりたい方はHPの閲覧申請をお願いします)

 


「1968年 激動の時代の芸術」      2018.08.31

 

千葉市美術館の「1968年:激動の時代の芸術」に松澤宥が主催したメールアートプロジェクト「観念絵画合成」(中村宏、赤瀬川原平、斎藤義重、山下菊二ら参加)、と「第一次ハガキ絵画」が展示されます。松澤と関連の深かった羽永光利さんの写真も多数展示されます。カタログエッセイは、昨年のシンポジウムにも登壇していただいたUCLAのマロッティ教授が1968年の新宿について、当財団の嶋田美子も現代思潮社・美学校の成り立ちについて一文を寄せ、マロッティさんの論文の翻訳も担当しました。色々イベントも計画されていますので、ぜひみなさまご覧になってください。

 

千葉市美術館「1968年:激動の時代の芸術」

http://ccma-net.jp/exhibition_end/2018/0919/0919.html

#1968年 #激動の時代の芸術 #千葉市美術館 #現代アート


 I. R. ペレイラ 資料リストに追加しました。

 

I. R. ペレイラは『コレクション  瀧口修造 8  今日の詩と造形』

に取り上げられているようですが、日本語の資料は少ないようです。

 

松澤宥プサイの部屋 > 松澤関連資料リスト ( J) > 2.松澤以外のアーティスト関連資料

 I. R. ペレイラ 資料リスト

 

 

 I. R. ペレイラ 資料            2018. 07. 29 

 

 このファイルは宥の作ったペレイラファイルに、その後の資料整理で見いだされた2, 3の資料を加えたものである。宥の意図したペレイラ女史の日本への紹介、あるいは著作 の翻訳は実現しなかったが、アメリカ留学時の宥の活動あるいは興味の一端をしめす資料 である。

 Irene R. Pereira(1902-1971)はアメリカのモダニスムの発展に貢献した抽象芸術家、 詩人にして思索家である。宥は彼女の考えに興味を惹かれたようで少なくとも帰国直前の ‘57年2月24日に自宅に訪問し,著作,原稿などを譲られている。恐らくその時に<空間の 本性>を邦訳する話もでたのでしょう。宥の意図は帰国後にNature of the space を離れ、 Pereira女史宅の訪問記と、手元の<空間の本性>, Lapis原稿など、さらにB. Shahaniのエッ セイを材料にPereiraを紹介する準備をすすめたが、中断した。ペレイラ女史からは1964年3 月末にLapisの出版案内を受け取ったのが最後の連絡となったようです。

 

(春  2018. 07. 29 )

 

(研究者の方などご覧になりたい方はHPの閲覧申請をお願いします)

 


言葉のない詩

 

言葉の壁をのりこえて外国の人々にも意味を伝えるために”特定の言葉を使わない詩”という変わった研究に取り組んでいる人がある。〜〜〜

 

 (S36/2/26 読売新聞 信越版 記事より)

 

シンボルポエム  (1954年)

 

 

2018/07/25 naganuma


松澤関連展覧会のご案内

戦後美術の現在形 池田龍雄展-楕円幻想

 

松澤資料から音会の時の池田資料も出品されます。

 

池田龍雄さんは松澤の1964年「荒野におけるアンデパンダン展」で

星への距離を出品

 

夏の蠍座 アンタレス (550 光年)と冬のオリオン ペテルギウス(642.5光年)

地球を挟んで反対にある星の距離を思うこと。

と言うコンセプチャルな作品

 

戦後美術の現在形 池田龍雄展-楕円幻想

2018.04.26(木)~ 2018.06.17(日)

練馬区立美術館

https://www.neribun.or.jp/event/detail_m.cgi?id=201802151518677542

 

〜〜〜〜

1964年12月3日未明より9日未明にかけて、長野県 七島八島高原ツンドラ地帯にて「荒野におけるアンデパンダン展 ’64」を開く。 架空の観念展覧会には少数の優れた出席者を得る。

( 諏訪幻想読本1 松澤宥・Ψの宇宙 )

〜〜〜〜

八島湿原には諏訪の古代からの信仰の場所、旧御射山(もとみさやま)があり

社のすぐ下からは湧き水が出ていました。

古代からの信仰の場所には、湧き水や、巨石があることが多い。

 

 


機関13号、松澤宥自筆年譜より

〜〜〜

1922年(大正11年)2月2日 0歳

 2月2日午前2時、長野県下諏訪郡下諏訪町5370番地ノ2に生まれる。これらの数22・11・2・2・2が数霊的オブセッションをなし、後年の私の言語による美術の一つのテーゼである「2222年人類消滅」を教俊する。諏訪信仰の中心、諏訪神社の下社あきみやから真直ぐに大社通りを下った旧中山道(現代の国道20号線)沿の仕舞屋の数百年経た、古く暗い”裏座敷”と呼ばれていたダダッ広い座敷で生まれた。〜

〜〜〜

 

後年のパフォーマンスでも2がつく日時に始めることが多くありました。

 

松澤宥 パフォーマンス 80年 問題22番

2002年2月2日2時22分にパフォーマンスを始めた松澤宥(国立近代美術館 東京)

 

Photo by NAGANUMA Hiromasa


<世界蜂起>

1971〜1973年、<世界蜂起>を国内外に要請(アーティスト以外にも送る)

それに応えて国内外からメールアートなどが送られて来ました。

 

「拝啓。貴下におかれてはますますご消滅の事とおよろこび申します。 さてこの度この末世に同時に生きることのきずなの 最後の表現形式、心の共有のための最初の表現形式として、昨年末につづいて「第二回世界蜂起」を実現すべく、 貴下にご参加を勧誘する次第です。これは今后249年間、人類消滅の時まで起こりつづける無数の世界蜂起の中の 第二号です。」 松澤宥

 

1972年の「第二回世界蜂起」の呼びかけ文

 

https://www.matsuzawa-yutaka-psyroom.com/世界蜂起展/第3回までの世界蜂起計画/

 

世界蜂起展にも参加されたローレンス・ウィナーさんと中島由夫さんの展示案内

 

ローレンス・ウィナー「WATER & SOME OF ITS FORMS」

2018年1月13日(土) - 2月10日(土) 火-土 10:00 - 18:00 日月祝 休

TARO NASU(千代田区東神田)

 

このたび 1-2月のTARONASUでは、タイポグラフィによる作品制作で知られている

ローレンス・ウィナー「WATER & SOME OF ITS FORMS」を開催いたします。

 

ローレンス・ウィナー| Lawrence Weiner

1942年、ニューヨーク生まれ。ニューヨークを拠点に制作活動。

近年の主な個展として、2014 年「Some Moved Pictures of Lawrence Weiner」 (グラスゴー現代美術館、イギリス)、2007年「As Far as The Eye Can See USA」(ホイットニー美術館)。2012年ドクメンタ(ドイツ)、2007年シャルジャ・ビエンナーレ(アラブ首長国連邦)に参加するなど国際的に活躍している。

ローレンス・ウィナーは60年代から一貫して、自身の芸術を「インフォメーション」と称し、言語や記号、それらが喚起する想像力に関心を寄せてきました。ウィナーにとって作品とは鑑賞者に伝達され、心象となることで初めて成立するものです。鑑賞者は物事に対してそれぞれ異なる経験を有し、それぞれに異なった心象を描きますが、そのどれもがウィナーにとって肯定しうるものです。

「水とその形態のいくつか」と題された本展で発表される新作は、水、塩水、淡水、中性子、黒鉛といった単語と、それらを関係付ける文や記号、図形などによって成り立っています。水、塩水、淡水は物質的な対象ですが、それらは機能、性質、状態などを示す言語の働きによって分類されているものです。また文や記号、図形によって作られる関係は、現実では起こりえない捻れた関係を作りだしています。ウィナーにとって自身の作品とは、論理や時間、空間に対する鑑賞者の認識への働きかけなのです。

また本展では、英文と共に日本語が使用されています。ウィナーが用意した英語のテキストに対して画廊側が複数の日本語訳を用意し、翻訳のニュアンスに踏み込んだディスカッションの結果、ウィナーが日本語訳を選択するというやり方で作品が完成しました。言葉と文字が容器となって運ぶ意味や心象の、翻訳しようとしてもしきれない何かこそが、文化の本質であるというウィナーの確信が、こうした制作を生んだといえるでしょう。「インフォメーション」としてアートにこだわり続けるウィナーの最新作をぜひご覧ください。

 

TARO NASU

東京都千代田区東神田 1-2-11

ローレンス・ウィナー「WATER & SOME OF ITS FORMS」

http://www.taronasugallery.com/exhibition/current/

 

 

中島由夫のアッサンブラージュ展

2018年1月6日(土)- 28日(日)Kanzan Gallery (千代田区  日比谷線「小伝馬町」)

 

 スウェーデン在住の芸術家、中島由夫。10歳でゴッホを見て画家になることを決意し、1950年代半ばの東京で、前衛芸術台頭の渦中に身を投じ、数々のハプニング・パフォーマンスを実行しました。23歳で日本を飛び出して渡欧した後は、いくつもの芸術運動に参加しながら、スウェーデンに行きつきます。

以後、北欧をはじめヨーロッパ各地の美術館、ギャラリーで大規模展が続いており、今なお精力的に作品を発表し続けています。また近年は、50年以上にわたるスウェーデンでの活動を経て、再び日本での活動にも力を入れています。

今回の展覧会では、未発表のアッサンブラージュ(異素材を組み合わせた立体作品)約30点以上を公開。さらに会期中に様々なイベントを開催し、中島由夫の魅力をあますところなく伝えます。

 

Kanzan Gallery 特別展示

中島由夫のアッサンブラージュ展

http://www.kanzan-g.jp/nakajima_yoshio.html

 

2018/01/04 naganuma


杖突峠からの展望

 

「此より上は神の地と為すことを聴さむ。此より下は人の田と作すべし。今より後、吾、神の祝(ほふり)と為りて、永代に敬い祭らむ。ねがわくは、な祟りそ、な恨みそ」といって、社を設けて祭祈をはじめた。」

(『常陸風土記』 行方の郡)

 

左側が諏訪神社の本尊の守谷山、眼下にには諏訪神社、上社の本宮と前宮、茅野市街、上諏訪町。

左側、諏訪湖の対岸付近が下諏訪、諏訪神社、下社、秋宮、春宮がある。

向かいの山の茶色い部分が霧ヶ峰、八島湿原で旧御射山社(霧ケ峯本御射山神社)がある。

泉水入瞑想台、御射山社は下諏訪から少し登ったあたり。

 

山梨側には八ヶ岳が見え龍のような雲がかかっていた。

 

松澤宥さんは下諏訪を拠点に世界的な活動をしています。

現代アートの原点は下諏訪の地で育まれていたのでしょう。

 

松澤宥年譜より

1964年 荒野におけるアンデパンダン展‘64(七島八島高原ツンドラ地帯 長野)

1970年    Stanley Brownに泉水入瞑想台下の土地1平米をψ円で売却

1971年〜 泉水入に瞑想台建立し音会を開催

1972年 御射山社でのパフォーマンス、「消滅の幟」立会人 羽永光利

 

 

(2017/12/27 naganuma)

 


機関13号

対談 プサイの函の中で 松澤宥ー菊畑茂久馬

〜〜〜

確か松澤さんは、私より13位上だと思うんですが、ちょうど徴兵適齢期ですね。戦争に対する屈折した気持ちは、松澤さんの年齢に一番強いかと思いますが、また反面表にはなかなか出せなかった世代でもあるんですね。

 

松澤

ええ、でも、やっぱり人によるかもしれません。ただぼくは戦争になった時、これはもう駄目だと思ってましたね。

おそらく駄目だろうとね。途中でなんとか思い直したわけじゃぁなくて、もう終始駄目だと思い続けていましたね。

 

菊畑

松澤さんは、何故戦争に行かなかったんですか。

 

松澤

要するに理科だったから、行かなかった。理科系は徴兵延期だったんですよ。

 

菊畑

どういう理由で?

 

松澤

つまり、戦争に大事なことを銃後で戦争に行かないでやるんだと、兵器をつくるとか。いろいろと、

 

菊畑

そうすると学徒出陣はまぬがれたけど、学徒動員がまっていた。

 

松澤

そうです。結局僕は新潟の日本曹達ってとこに行きましてね。建築の方でしたから、施設を作る方に使われました。

でも小さな小屋を建てるとか、そんなことだけでした。

 

菊畑

その頃、松澤さんの世代の人々は、ちょっとしたことで、確実に生と死に分かれていったんですね。

 

松澤

中学時代の同級生は、半数近くはいろいろ死んでますね。

 

菊畑

すごいですね。

 

松澤

その人たちは、死ぬつもりであるなしにかかわらず、戦争のために死んじゃってるんですからね。こっちは理科で軍隊に行かないでよかったけれど、しかしよかったことに見合うほどに何もしてないわけでね。この辺のことは僕たちの年代の者はいろんなかたちで持っていますね。みんな戦争に行って、自分の友人たちが死んで自分だけ生き残っている。しかもこっちは戦争に行かないで、ある意味で批判的に戦争を考えていた。それでも自分たちはの半数以上が死んでいるというやり場のない気持ちが、、、、。僕も行けば、きっと、という思いが絶えずするわけでです。

 

菊畑

松澤さんの年代が、一番戦闘要員の軸でしたからね。

 

松澤

そうです。僕たちの年齢の前後した1・2年が一番死んでいるんです。

〜〜〜〜P11~13

 

学徒出陣

https://ja.wikipedia.org/wiki/学徒出陣

第二次世界大戦終盤の1943年(昭和18年)に兵力不足を補うため、高等教育機関に在籍する20歳以上の文科系(および農学部農業経済学科などの一部の理系学部の)学生を在学途中で徴兵し出征させたことである。日本国内の学生だけでなく、当時日本国籍であった台湾人や朝鮮人、満州国や日本軍占領地、日系二世の学生も対象とされた。学徒動員と表記されることもある[2]。

 

学徒勤労動員

https://ja.wikipedia.org/wiki/学徒勤労動員

学徒勤労動員(がくときんろうどういん)または学徒動員(がくとどういん)とは、第二次世界大戦末期の1943年(昭和18年)以降に深刻な労働力不足を補うために、中等学校以上の生徒や学生が軍需産業や食料生産に動員されたことである。

 

女子挺身勤労令

日本国政府国章(準)日本の法令 法令番号 昭和19年8月23日勅令第519号

https://ja.wikipedia.org/wiki/女子挺身勤労令

同令により、14歳から40歳までの女性が軍需工場などの戦争遂行体制に動員された。強制力を伴うこの勅令の対象になったのは日本人であり、朝鮮人は対象とならなかった[1]:367。違反した場合、国家総動員法により1年以下の懲役または1,000円以下の罰金を払わねばならなかった。女子挺身隊は、国民勤労報国協力令(強制力なし)などに基づき、これ以前から結成されていたが[1]:367、1945年に国民義勇隊に再編された。

 

国家総動員法(こっかそうどういんほう)は、1938年(昭和13年)第1次近衛内閣によって第73帝国議会に提出され、制定された法律。総力戦遂行のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる(総動員)旨を規定したもの。

https://ja.wikipedia.org/wiki/国家総動員法

 

2017/08/10 naganuma


プサイの部屋の写真

 

机の上にあるライフ誌の表紙になっているのは、「原爆の父」ロバート・オッペンハイマー

 

ロバート・オッペンハイマー wikipedia

~~第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たしたため「原爆の父」として知られた。~~

https://ja.wikipedia.org/wiki/ロバート・オッペンハイマー

 

軍事教練の写真

戦時中は理科系の学生は徴兵を免れたものの、軍事教練が行われたり、勤労奉仕に工場へ駆り出されていました。 松澤も富士や軽井沢に軍事演習に行きました。

早稲田の学校説明の冒頭には「教育勅語」が掲載されています。

 

自筆年譜(1942年 20歳)

 

~軽井沢軍事演習の営舎で<シュールレアリズム絵画展>を開催。戦争を揶揄する作品を皆で沢山作って陳列。配属将校を招待 韜晦(とう‐かい)説明ほくそ笑む。~

 

###瀧口修造

1941年(昭和16年)に、その前衛思想が危険視されることになり、シュルレアリスム系の画家福沢一郎とともに、治安維持法違反容疑で特高に逮捕されて、警視庁杉並警察署に留置を受けることになりました。そしてその後8ヶ月間にわたってシュルレアリスムと国際共産党の関係を糾問されていまする(起訴猶予のまま釈放)。この逮捕をきっかけに、戦前の日本のシュルレアリスムは終息へと向かいました。

 

日本のシュルレアリスム  http://www.neoteny.jp/modern/japan1.html

 

 

2017/08/04 naganuma

 


アルファ芸術陣

 

美術文化協会から分離独立したアルファ芸術陣は難解な結成マニフェストが評判でした。

1954年のアルファ芸術陣の結成マニフェストは金子昭二氏と松澤宥の合作といわれます。

アルファ芸術陣結成展の時には、北原功氏と松澤が合作で化学彩二点を出品しました。

 

松澤が翻訳した原稿、

「モーリス・ルメートルの序文によるイジドル・イズウについて」

原稿抜粋

〜もしこの世界に栄光ある頭脳がありその絢爛さを失わないならば、錬金術的操作を持ってその神秘性と、アルファ・オメガに従って設計される辞典の中に秩序づけられる〜

 

松澤資料の中に当時パリにいた小牧源太郎氏の手紙もあります。

付け合わせてみると、これがアルファ芸術陣の由来で、パリにいた小牧源太郎氏が松澤に元原稿を送り、松澤が翻訳したものと思われます。

アルファ芸術陣の結成マニフェストなどと合わせて、ぜひ当時のことを調べている研究者の方に調査していただきたい資料です。

 

松澤資料は松澤作品だけでなく、同時代の作家や様々な研究や論文の資料として、興味あるものが沢山あります。美術分野にかぎらず詩、舞踏、写真、風俗、社会などさまざな分野での研究者の方の協力をお待ちしています。

 

写真は当時のもの?汚れやムラのようなものは、当時わざと写真を現像時に加工したものと思われます。

 

(松澤邸50年代資料より)       2017-06-15 naganuma


5月松澤邸調査

〜〜〜(美学校史覚え書き 美学校websiteより)

松澤は1981年まで「最終美術思考」を続けるが、途中1973年に美学校・諏訪分校を開講する。

〜〜〜

 

美学校・諏訪分校についてはあまり資料などもなく、どのようなことが行われていたのか、当時を知る手がかりを資料を見ていました。

松澤邸に調査に訪れているとき「suwazim」という諏訪の雑誌に諏訪美学校からもらった、岡持ち(おかもち)があるという記事あるということで、早速その「かとう食堂」を訪ねてみました。

 

 とりあえずご挨拶だけのつもりでしたが、とてもご親切に当時のお話を長時間お話しいただきました。店主のかとうさんも美学校の中村宏教場の生徒さんだそうで、お話の後は諏訪美学校の跡地にもご案内いただきました。ありがとうございます。

 

2017/05/24 naganuma


芸術(Art)から人類の意識遺産 ( Free Document )へ

 

1972年の松澤メモより

 

芸術(art)というよりそれは証拠(document)と呼んだ方が良いだろう。

どんなことでもそれにひっくるめられる可能性がある。だから大変に自由なものだ。

Free Documentだ。その人が死を意識してその代替えとして信じたもの、事、心がこれからの大変大事な人類の意識遺産となる。

それだ、それが次の芸術だ。これは1972年 1月24日午前4時の意見だ。

 

(松澤宥アーカイブ 1972年 1月24日)

 

OTA FAINE ARTS カタログ 

「ニルヴァーナからカタストロフィーへ - 松澤宥と虚空間のコミューン」 P356

 

(カタログはOTA FAINE ARTS にまだ多少あります)

www.otafinearts.com/ja/

 

2017/05/02 naganuma


われわれは「つくること」の廃棄を恐れない

 完全な解放を希求する

 

「美術という幻想の終焉」展、パンフレットの言葉

 

こちらで観ることができます。

そのほかにも貴重な資料や作品があります。

 

ニルヴァーナからカタストロフィーへ:松澤宥と虚空間のコミューン

https://www.facebook.com/events/1864539700471234/

会期は 4月22日(土)まで、お見逃しなく!

 

2017/04/11 naganuma

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「美術という幻想の終焉」展

長野県信濃美術館 1969年 8月8~14日

 

展覧会出品者

臼田宏、杉村敏明、春原敏之、竹内茂理愛、竹田潔、福島晴彦、前山忠、松澤宥、

森仁志、山崎秀人、成田克彦、狗巻賢二

 

シンポジウム 8月10日、長野名店デパート2階ホール

講師:中原佑介、峯村敏明

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湯口沢関連資料目録          2017.3.30

 

 川崎市の小幡八郎さんから、湯口沢会座の資料を戴きました。湯口沢会座をご存じの方は多くはないでしょうが、湯口沢は旧津久井町荒井(神奈川県)にあり、赤土類さんの自宅のそばになります。下諏訪町の瞑想台は1990年にここに遷り、以後5年間にわたって赤土類・三船健吉さんが中心になって会座を開いています。

 小幡さんの資料を機に松澤文書の湯口沢関連資料をまとめました。他にも写真や未整理のファイル中に資料は散っていると思います。

 この資料から、松澤年譜にはない湯口沢会座の活発な活動ぶりが明らかになり、松澤宥が少なくとも1-4回にパフォーマンスで参加したことも判ります。1994年の第5回に関する資料はまだ見つかりません。

 個人的には1990年に草飼薫さんが参加していたのは驚きです。薫さんはRATIを創刊した草飼稔さんのご子息で、松本市美術館に宥のパステル画3点を寄贈されています。この3点は先日に藤沢アートスペースに展示されたのをご覧になった方もおいででしょう。

 

(春) 2017.3.30

 

 

湯口沢関連資料目録 松澤宥関連資料リストに掲載


1964年      6月1日「オブジェを消せ」という啓示を受けて、6月4日美術を言葉だけ表現する観念芸術を創始。

 

1979年      観念美術の創始によりアカデミア・ティベリーナ(ローマ)の永久会員に推挙される。

 

 

1月のある日読売新聞社よりアンパン常連にアンパン中止が突如通告されて来た。6月1日の深夜裏座敷に寝ていた私は「オブジェを消せ」という声を聞いた。私にとってそれは美術を文章だけで表現せよという意味であることを疑いもしなかった。

6月4日(1964.64.101010)そう決めた。観念美術が誕生した。6月20日より7月3日まで都美術館で前衛美術会の軒を借りて急遽自主アンパンとして開かれた<アンデパンダン’64展>に早速<プサイの死体遺体>という文章のチラシを一万散らした。 (機関13 自筆年譜より)

 

松澤宥年譜

https://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/松澤宥年譜/

 

2017/02/11 naganuma


はじめまして、松澤宥の孫の梓です!

こんにちは!

これは1995年に私が図工の時間に作った作品です。確かホワイトボードがテーマだったような。初めて電動ノコギリを使った作品なので作品の良し悪しは置いておいて。(センスのかけらもございません)

出来上がった作品を祖父に見せると、何日かして「パパとマミを描こう」(祖父母のことをパパマミと呼んでいました)ということになったのです。自画像じゃ面白くないから、お互いを描こう!と。

祖父は祖母の顔を、祖母は祖父の顔を。
祖父は美術家なのでうまいとして(祖母をご存知の方はわかると思いますがとても似ています)、祖母の描いた松澤宥、そっくりじゃないですか!?当時は「マミうまいじゃん!」ということで盛り上がった記憶があります。絵のタッチが本気!笑

ずっと我が家のピアノの上に置いてあったのですが、いかんせんホワイトボードなもので半分ばかり消えてしまったことがあるのです。でもお願いしてもう一度描いてもらったほど、お気に入りのものです。

ずっととっておきたいし、もっと見えるところに飾ってもいいのですが、私のセンスのなさが露呈するのでピアノの後ろにこれからも控え目に置いておきますね!私の大切な宝物の紹介でした!

 

azusa  2017/01/23


  

  

  

 

 

 

    

写真は茅野市美術館で展示されたRATIの会 1〜3号 (デザインは松澤宥)

 

青木靖恭ファイル

このファイルは下諏訪の青木靖恭氏が松澤宥の死後に手元にある宥関連資料を松澤久美子に托されたもので、50年代から 70年代にかけての保存状態のよい貴重な資料を含んでいる。
といっても、青木靖恭氏を知る人は少ないでしょう。例のごとくインターネットで検索 すると、詩集「あんどろたくしあ(1963)」、「義眼気球(1982)」があげられ、更に草 飼稔、松澤宥、金子昭二らと RATI の発刊に関わったという。少なくとも、RATI の主催した 1951 年の諏訪のアバンギャルド・アート・ディスプレイに関わり、 RATI 3 号に宥と共 同で詩を発表している。
 しかしながら、この情報には重要な部分が欠けている。青木靖恭は諏訪中学 (現諏訪清陵 高校) 1936?年卒、松澤宥同じく 1939 年卒、金子昭二同じく 1944 年?卒。青木氏と宥の 勤務先は諏訪実業高校定時制の下諏訪分校であり、金子氏の勤務していた下諏訪中学校と 同一の敷地内であった。この 3 人が下社秋宮下に蟠踞して日々に親しく交際していた様子 は松澤美寿津の思い出話にもよく語られた。 1954 年のアルファ芸術陣の結成、翌年の抽象 派詩人協会の結成にもこの 3 人が大いに働いている。
 なお青木氏は絵も描き、1954 年の美術文化協会展で奨励賞を受けている。宥が詩の世界 を離れたのちも、二人の親交はつづき、宥の個展などではしばしばお姿を拝見した。
ここでは 1984 年に青木氏が松澤宥に寄せた一篇を拾っておく(諏訪幻想読本1から)。 (文中敬称を一部略)

1984 松澤宥に寄せて
 - Ψ の函を開く -

Ψ の函を開く


荘子を思わせる


豪蕩な気分


俗世への嘲笑


密教のエロス


ニタリトワラウ男
あなたとともに過した時空
その遥かなよびごえ
・・・・・・・・
・・・・・・・・
 昭和58年9月4日 松澤宥 様

2016/12/29 (春)


RATIの会は、詩、絵画、、彫刻、写真、音楽、バレー、オブジェなど美術の範疇を超えた合同イベントが行われた。
草飼稔、松澤宥、青木靖恭が主体となり、参加者は岡本太郎、木原孝一、朝妻二郎、黒田三郎、斉藤愛子、村井正誠、勅使河原宏、大辻清司、安部公房、、、など時代を代表する多数の参加者が集まった。 
(スピリチュアリズムへ・松澤宥 1954-1997)

写真、補足 (naganuma)

〜〜〜〜
青木靖恭ファイル目録
1. RATI関連:
 1 現代前衛芸術の夕べ 案内状 (10 枚);2 RATI の会:入会票(5 枚);RATI 1-3 号;

2. α芸術陣関連:
 1 アルファ芸術陣結成展ポスター(6 枚);2第一回アルファ中部連合展 4 月 27 日-5 月 1 日 案内状;
3. 美学校関連:
 1 1970 美学校生徒募集要項;2 1970 美学校チラシ;
4. 書簡類:主に音会に関連 〜〜
〜〜〜〜〜以下リンク先をごらんください

資料目録の詳細はプサイの部屋HP、松澤関連資料リスト ( J)に掲載してあります。
ご興味のある方はご覧ください。
https://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/%E6%9D%BE%E6%BE%A4%E9%96%A2%E9%80%A3%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-j/

 

研究者の方などで、資料をご覧になりたい方はHPに記載の「調査・研究・閲覧条件、申請方法」をご覧ください。
https://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/%E8%AA%BF%E6%9F%BB-%E7%A0%94%E7%A9%B6-%E9%96%B2%E8%A6%A7%E6%9D%A1%E4%BB%B6-%E7%94%B3%E8%AB%8B%E6%96%B9%E6%B3%95/


「舞闘による回生」辻村和子さんの舞踊論

1969年4月26日、上野本牧亭のシチュエーションについてのテキストや松澤宥の言葉も載っています。

*タイトルには「舞闘」が使われている

2016/12/20 shimada

〜〜〜〜〜〜〜〜〜
舞闘による回生
辻村和子

●踊らないことを踊るとはどういうことか●
一部の人たちから私は「踊らない舞踊家」だと言われた。詩を書かない詩人というのはあるように思うけれど、踊らない舞踊家というのは矛盾ではないか。私の肉体は舞踊に適してるように思う。誰もがやるように私もリズムの中に肉体を浸す。それは身をまかせば任すほど分解し、消滅し、再製する肉体の瞬時の輪廻を激烈に味あわせてくれる。旋律は肉を浸食するバクテリアだ。しかし私の大脳皮質はこうした肉の仮性のエクスタシーに不満を示しはじめたのだ。
皮膚の緊張から、眼や指先の些細な動きに迄至る現実を伴わぬメタフィジカルな創造の自立はあり得ようか。セックスは私の前頭葉からジルヴィウス裂溝の奥に至る迄震撼し、脊髄を走る稲妻が、おびただしい触覚である細胞を、未明の空間に特出させた時おこる死の痙攣だ。それは創造力の肉体化だ。ワギナだけをふるわしている貧しい性に呪いあれ!
私は肉体を、旋律のバクテリアや、環境の衣装や、全ての舞踊という仮性の桎梏から解放するために、まず前頭葉の自立を要請しようとしたのである。
小刻みに肉の再生を図るのは、いたずらに身震いして、肉の灰をまき散らすのと同じことだ。肉片の散布による公害に人々は無神経になった。こうして私は、肉体を酔態から救出し、苦行を強いることを始めた。

●私は肉体を停止させ●
私のそれ迄の舞踊歴は語るに値しない。1965年の暮れ。リズムに揺れていた私の肉体が突然停止した。私の前に広がっていたのは、変幻自在な空間であったが、そこで肉体と観念(思想)とは、私を習慣的に酔わせていたようには取引をしていなかった。そこに出入りする人たちによってMAC・Jと呼ばれたその空間で、私は麻酔から覚めた。ハプニングやインター・メディアなどと呼ばれる以前の、何かラジカルな陰謀が、未形成のままに肉体や観念を透き通った混沌に引きずり込んでいた。
私は「時間派」の人たちによって張り巡らされた紐を切って回り、邦千谷氏や鈴木裕子氏の肉体の前にかろうじて立とうとし、飯村隆彦氏、城之内元晴氏、足立正生氏らの映像の重なり合う中で、私の肉体を寸断し、トランクの中へしまわれる風倉匠氏の肉体の行方を、私の肉体を探すようにして心配したりした。ヨシダ・ヨシエ氏は沢山の肉体を丹念に縛り上げていた。
MAC・Jは奇怪な純粋癖で、自ら放火炎上し、私は邦千谷舞踊研究所へ入った。遠景にはガルメラ商会謹製の肉体が、肉体の闇を優雅な手つきで引っ張りだして舞う様が見えるが、私は私の肉体の深い蘇生を願って、壊滅させることを計画していた。

●松澤宥氏と共謀した消滅式●
私は私の肉体の消滅のために、下諏訪へ走った。霧ヶ峰の風の中で松澤宥氏に会い、私のニルヴァーナのための企てを打ち明けた。松澤宥氏はやがて、次のようなメッセージをたずさえて上野本牧亭のシチュエーションを透明に押し広げていった。

「信州の山奥から、辻村和子の舞踊「ニル」のためにメッセージをたずさえて来ました。辻村は舞踊の非実体化を志向しています。これは、人類の舞踊の最終形態です。辻村は、肉体を用いない舞踊を志向しています。やがて、彼女は踊らない踊りを踊るようになるでしょう。みなさん、今夜辻村の「ニル」の肉体とその時間空間を見ないで、彼女の観念と彼女の死後の霊肉と、あわせて、万物の消滅を見てください。それが「ニル」の神髄です。
行こう(ギャティ)
                        虚空間状況探知センター 松澤宥

1969年4月26日、上野本牧亭のシチュエーション(邦千谷舞踊研究所講演「本牧亭舞踊六華撰」)の中で、私は私の肉体の「穴」のすべてを蛍光塗料で縁取り、ブラックライトで照らし出し「穴」を突起状態に置換えることによって外観の肉体をとり省いた。私の前頭葉から発信した意識は肉の内側の生暖かい触覚を徐々に突き刺すようにしながら、なめらかに駆け下りていった。骨と肉の接点の癒着したのり付けを暗闇のなかでなめまわし、ひきはがそうとしていた。皮膚によって仕切られた内部を、外気にさらして汚染させ、腐食するプロセスを細胞に記録する素材を探し求めた。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜 (辻村誠さん提供)


サンパウロビエンナーレ講演「カタストロフィに就いて」1977年

1977年サンパウロビエンナーレの講演原稿を書き起こししました。
ご興味のある方、全文は財団HPに掲載してあります。(長文です A4 4~5枚程度)

サンパウロビエンナーレ講演「カタストロフィに就いて」1977年

日本の高名なシュールレアリストの老詩人であり、ノーベル賞候補者でもあった西脇順三郎は、かつて「芸術に置けるプリンシプルはなるべく単純な方がよい」といったことがあります。彼の場合、芸術とはこの面白くない世界を少しでも面白くするために、精神の中に小爆発を起こさせて、精神の中でカタコトと面白い水車でもまわして、 Esprit d’OMOSHIROIを楽しむことであると考えていたわけです。
もう大分昔のことですが、多分1950年代のはじめころ、私は西脇氏のその考えのように、「私の芸術に何か面白いプリンシプルを打ち立てよう。何か単純なプリンシプルを見つけてみよう」と考えたことがありました。そして四苦八苦の末に次のような単純なプリンシプルを発見したわけです。つまり「仏陀はわれわれのお尻の方から、団扇で、消滅せよ消滅せよとあおっている」と考えたわけです。
私がはじめてNIRVANAという言葉に、涅槃という言葉に着目したのはその時でした。サンスクリットでNIRVANAというのは火を吹き消すという意味だそうです。つまり火を吹きけしたように、物がなくなってしまうこと、つまり消滅することがニルヴァナの元の意味です。お釈迦様は右を下にして長々と横たわってネハンに入られた。この右を下にして横になられたことに深い意味がある訳です。左には心臓があります。心臓を下にして横たわれば、心臓を圧迫します。それを避けられたのです。ネハンと言えば、簡単に釈迦の死と思われていますが、そう思うムキの方は、おそらく死ぬのに心臓が下であろうと、上であろうと関係ないよというでしょうが、それが悲しい浅はかさ。ネハンと死とは全くちがうのです。微妙に全くちがうのです。このNIRVANAについては後ほどもう一度ふれて行きたいと思っています。

中略〜〜〜

松澤宥が1977年サンパウロ・ビエンナーレで行った講演の書き起こしである。
この年松澤はビエンナーレ賞を受賞。
松澤が展示した「九想の室」は、松澤を含む21人のアーティストの行為の写真を展示したものである。
21人は以下の通り:
芦沢タイイ、池田龍雄、糸井寛二、風倉匠、金子昭二、河津紘、楠野タカオ、栗山邦正、小林起一、斎藤俊徳、宿沢育夫、ステラーク、春原敏之、赤土類、田中孝道、辻村和子、古沢宅、水上旬、水谷勇夫、松澤宥


ご興味のある方、全文は財団HPに掲載してあります。
松澤関連資料リスト(J)>
サンパウロビエンナーレ講演「カタストロフィに就いて」1977年

2016/12/12 shimada


「過去のテキストから」〜 松澤さんが考えていたことを探る

フルブライト留学時代、瀧口修造宛の公開書簡風になった記事より

美術批評 1956年9月号 アメリカ通信 より抜粋
ブルックリン横丁のティー・ルームにて
瀧口修造様

〜〜人間がお互いに如何に理解しあっていないかということ、また各ピークで先鋭化された専門家たちの交流の不足、その間の谷、これはやはりおそろしいことだと思います。
各専門分野でゆきずまっている問題はこの比較的不明にされている境界領域ではないでしょうか。
芸術家たちの、科学者たちの、また哲学者たちの思考をおし進め刺激してくれるのはこの谷の部分が埋められた時ではないでしょうか。〜〜〜


影響を受けたと思われる人物、本など、参考資料として
分子生物学が生まれるきっかけとなった本

生命とは何か  前文より抜粋  (岩波文庫 青946-1)

~~総和を結び合わせて一つの全一的なものにするに足りる信頼できる素材が、今ようやく獲得され始めたばかりであることを、はっきりと感じます。ところが一方では、ただ一人の人間の頭脳が、学問全体の中の一つの小さな専門領域以上のものを十分に支配することは、ほとんど不可能に近くなってしまったのです。
この矛盾を切り抜けるには(われわれの真の目的が永久に失われてしまわないようにするためには)、われわれの中の誰かが、諸々の事実や理論を総合する仕事に思いきって手をつけるより他には道がないと思います。たとえその事実や理論の若干については、又聞きで不完全にしか知らなくとも、また物笑いの種になる危険を冒しても、そうするより他には道がないと思うのです。~~
エルヴィン・シュレーディンガー 1944年9月 

物理学者
1926年に波動形式の量子力学である「波動力学」を提唱。次いで量子力学の基本方程式であるシュレーディンガー方程式や、1935年にはシュレーディンガーの猫などを提唱し、量子力学の発展を築き上げたとして名高い。 (wikipedia)

 

エルヴィン・シュレーディンガー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%BC

 

2016/11/25 naganuma

 

下の画像をクリックすると拡大します。


A Retrospective of Closed Exhibitions

 スイスの Fribourg の Fri Art Kunsthalle で8月6日から11月19日まで開催、日本からは松澤宥とハイレッドセンターがそれぞれ1週間展示。ただし、会期中にはホールは閉鎖されており、運よくFribourgにお出でになっても見ることはできません。松澤宥の出品作品は「荒野におけるアンデパンダン展」です。最終日にThe Anti-Museum の出版記念会も開かれる予定。

2016/11/19(春)

*画像をクリックすると拡大します


「現代において芸術は可能か」(1965年 岐阜アンパン)資料テキスト掲載しました。

65年アンデパンダン・アート・フェスティバル・シンポジューム(岐阜アンパン)の松澤講演が面白いので、資料のところにアップしました。

2016/11/09 shimada
〜〜〜〜
1965年8月
岐阜長良川上流一帯の河原で「アンデパンダン・アート・フェスティヴァル」を開催。「現代において芸術は可能か」と題するシンポジュームが行われ、テーマメーカーとして<物質消滅=反文明>を説く。また、この展覧会中に長い繋がりを持つことになる安部ビートと、一方的に垣間見されるという形で出会う。
( 諏訪幻想読本1 松澤宥・Ψの宇宙 )
〜〜〜〜

アンデパンダン・アート・フェスティヴァル シンポジューム
(1965年8月15日 岐阜市商工会議所)
「現代において芸術は可能か」 松澤宥

私はこの私の報告を大変不思議な話から始めなければなりません。どうぞ冷静に聞いて下さい。動揺を避けて下さい。知的に判断を下して下さい。こういう話に対する反応の仕方はいろいろあると思います。「そんなことがあろうはずがない」と、そういうことの可能性を全く否定して頭から問題にしない人たち。次はむやみに狂信的になってしまって手軽な神秘主義に陥る人たち。それから現在の我々の持っている知識では肯定しかねるが、又否定する確たる根拠もない、従ってこれからその事実に率直に謙虚に対処していこうとする態度です。私はこの第三の態度-こういう人は意外に少ないのだが-が新しいものに対処する正しい態度であると思います。
さて皆さん!この開場の中に!地球外の天体から来た宇宙人が三人おります。この席から見ますとそれがはっきりわかります。そこだけぼーっとハロー(復光)がとりまいています。この事実を皆さんはどう考えられますか。〜〜〜〜〜〜

ご興味があれば以下は資料ページに全文掲載があります。


安部ビート資料 リスト掲載しました

生前松澤と親しく交流のあった人物は沢山いますが心に残る一人
11月17日に自らの命を絶った阿部ビートからの松澤宛ハガキより

一九六八年X月X日 日本の「AM氏」の岩窟へ大宇宙空間から三博士の「ダダ、ダダ、ダダ氏」がおとずれた。〜〜〜
昭和43年8月8日消印 ( 諏訪幻想読本1 松澤宥・Ψの宇宙 )

松澤作品だけでなく、関連資料も順次公開予定です。

松澤関連資料リスト について
*1950年〜1980年代にかけての現代アートや詩などの資料が多量に有り、松澤のみならず日本の現代アートのみならず世界中のコンセプチャルアーティストとも交流があったため、貴重な資料、作品が有ります。
*整理が済んだものから、順次公開していく予定ですが、ボランティアの活動で、人材、資金ともに厳しい状態のため、なかなか進んでおりません。
*研究者、学芸員、ボランティアなどの専門知識をお持ちの方のご協力をお持ちしています。
2016/11/06 naganuma

安部ビート資料
http://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/%E6%9D%BE%E6%BE%A4%E9%96%A2%E9%80%A3%E8%B3%87%E6%96%99%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88-j/%E5%AE%89%E9%83%A8%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E8%B3%87%E6%96%99-2016-10-29%E6%9B%B4%E6%96%B0/


「瞑想台」 「松澤ゆかりの地ツアー」No.4

 


あなたがこれを読んでいるこの瞬間わたしは
日本の中部高原のあの泉水入瞑想台に座わり
あなたと此処にわたしの魂を憑依させながら
静かに静かに人類滅亡の為に行をしています

松澤宥 (#1)

 

 

 

 

 

泉水入「瞑想台」は下諏訪の御射山(みさやま)近くの山中に作られ、各地から様々なアーティストが集いました。
今はわずかに痕跡が残る程度で、まわりの木も大きく育ち、風景も変わっています。
「瞑想台」の入り口付近の林で、春原敏之さんから当時のお話を伺いました。

 

2016-10-31 naganuma


〜〜〜
1970年  Stanley Brouwn に泉水入瞑想台下の土地1平米をプサイ円で売却(立会人:中原佑介)
ダグラス・ヒューブラーの「ディレイション・ピース#8グローバル パート1」に収録
〜〜〜(スピリチャア・リズムへ松澤宥 1954-1997) #2.#3



記事、論文   虚空間のコミューン – 松澤宥のめざしたもの (嶋田美子) より抜粋
〜〜〜
そのネットワークの核ともいうべき場が松澤家所有の山中、泉水入「瞑想台」(図6)である。ここにはニルヴァーナ展以来松澤と親交を深めたアーティスト(春原敏之、田中孝道、芦沢タイイ、水上旬、金子昭二、古沢宅、赤土類、河津紘、小林起一ら)や美術評論家(ヨシダ・ヨシエ、滝口修造)、映像作家(かわなかのぶひろ)らが集い、「音会」(71年)「雪の会座」(72年)と名付けたコンサート/イベントを開いた。これは各人がそれぞれ身体表現や儀式を行いながら、しかもつかの間の共同体としてお互い共感し合い、共通の方向性を持つものだった。これは松澤の理想とした「フリー・コミューン」(図7)の実践であり、感覚から精神や想像力に至る機能を可能なかぎり開こうとする試みであった。
〜〜〜
http://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/%E8%A8%98%E4%BA%8B-%E8%AB%96%E6%96%87/


#1 言語による作品リストj  言語による作品 (写真)  写真60/81
http://www.matsuzawayutaka-psiroom.com/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88j/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E4%BD%9C%E5%93%81-%E5%86%99%E7%9C%9F/

#2
ダグラス・ヒューブラー wikipedia
(Douglas Huebler, 1924年10月27日 - 1997年7月12日)は、アメリカ合衆国のコンセプチュアルアーティスト。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC

#3
Duration Piece #8. Global.
Published by Castelli Gallery, 1973
http://www.abebooks.com/Duration-Piece-%238-Global-HUEBLER-DOUGLAS/3576299148/bd

 

 


「松澤ゆかりの地ツアー」No.3


フォッサマグナ水没前兆式 


「二〇〇二年日本フォッサマグナは水没する今その様を心に観ぜよ身支度をととのえよ待てよ待てよ」
諏訪湖水上 1984年2月2日 松澤宥

 

 

(諏訪湖を望む展望台から)
スワミニズム研究会による、諏訪湖付近の諏訪の地政学、民俗学、縄文学の視点から松澤の行為と作品を解説していただきました。

日本列島は4つの大陸、海洋プレートが合わさった境界上にあります。
また諏訪湖は、フォッサマグナという大地溝帯の西側、糸魚川ー静岡構造線と、日本列島を縦断する中央構造線の交差する地点に位置しています。
地質学的にもとても特異な場所であり、石器時代、縄文時代とそこで生活していた人々への思いをはせることで、松澤さんの時間感覚は宇宙までとどく、とても幅の広い感覚を持つことができたのかもしれません。


2016/10/27 naganuma


美術手帖(1984/04)より

資料はスワミニズム研究会

フォッサマグナとは
フォッサマグナミュージアム 糸魚川市
http://www.city.itoigawa.lg.jp/6525.htm

 


「松澤ゆかりの地ツアー」No.2

七島八島高原「荒野におけるアンデパンダン展」


「松澤ゆかりの地ツアー」では七島八島高原を訪ねて有志によるパフォーマンスも行われました。
堀川さんによる追悼パフォーマンス 、春原さんによる散華 、高橋さんによる郵送されたアナグラム、
会長によるプサイの虫、など

 


〜〜〜〜
1964年12月3日未明より9日未明にかけて、長野県 七島八島高原ツンドラ地帯にて「荒野におけるアンデパンダン展 ’64」を開く。 架空の観念展覧会には少数の優れた出席者を得る。
( 諏訪幻想読本1 松澤宥・Ψの宇宙 )
〜〜〜〜
架空の観念展覧会に送られた作品は


池田龍雄「12月9日0時のオリオン星座アルファ星」
瀧口修造「東西線高田馬場〜九段下間12月23日開通 東西線車両の搬入」他が出品された
(スピリチュアリズムへ・松澤宥 1956-1997 斎藤記念川口現代美術館 図録より)

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2016/10/23 naganuma


「松澤ゆかりの地ツアー」No.1

2016年10月15日、松澤宥10年目の命日に「松澤ゆかりの地ツアー」を有志で行いました。
スワミニズム(諏訪+アミニズム)研究会にお願いして、諏訪の地政学、民俗学、縄文学の視点から松澤の行為と作品を解説していただきました。


御射山(みさやま)は古くから水源ともなっており、水の信仰の地でもあります。

松澤宥は1970年にパフォーマンス:「御射山秘儀」を行いました。
(立会人:羽永光利 御射山奥社 長野)

 

 

2016/10/20 naganuma

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

堀川さんによる追悼パフォーマンス

鳥居をくぐってしばらく登ると、池があり昔は神事でウナギを放流したそうです。
今はドジョウ(予算がないので?)
さらに登ると御射山奥社があり、水源にもなっています。
山奥で樹齢400年以上の大木があり、とても神聖な雰囲気があります。
今も人里からは離れていて、神事のために人々が集まった神聖な場所です。
旧御射山(七島八島)から500年ほど前にこの地に移されました。

 

2016/10/20 naganuma


フルブライト留学時代(1955年~1956年)の作品

 

1、意識と物質に関するダイアグラム・陰陽  (66*56)
2、意識と物質に関するダイアグラム・核  (36*51)
3、意識と物質に関するダイアグラム・涅槃のために (84*66)

Yutaka Matuzawa One Man Show (1956年 ウィスコンシン州大)

コージーブスキー、コージーブスキーとくりかえし言われていた一般意味論をめぐって取り沙汰されたこれらを苦に苦の平面と立体は今ウィスコンシンの野に在りやなしや。

(諏訪幻想読本 松澤宥・プサイの宇宙)

〜〜〜wikipedia
一般意味論(いっぱんいみろん、General Semantics)は、アルフレッド・コージブスキー(1879年 - 1950年)により1919年から1933年までの間に構築された教育的規範である。一般意味論は、言語学の意味論とは全く異なる。その名称は、コージブスキーが「意味反応」(Semantic Reactions)として研究していたものから来ている。
意味反応とは、単に人間の作ったシンボル(言語)だけでなく、周囲の環境におけるあらゆる事象の意味に対する人体全体の反応を指す(訳注:たとえば、梅干を見て唾液が分泌されるような反応、すなわち条件反射も含む)。コージブスキーが人類の生存にとって最も有益であるとした意味反応のシステムを「一般意味論」と呼ぶ。
〜〜〜
アルフレッド・コージブスキー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E8%88%AC%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96

2016/10/02 naganuma


「荒野におけるアンデパンダン展」について
〜〜〜
1964年(42歳)
6月1日深夜、<裏座敷>にて「オブジェを消せ」との声を聞く。
6月4日には美術の非実体化・文章化を決心。
自主開催の『アンデパンダン’64展』「プサイの死体遺体」という文(エクリチュール)を1万散らす。
爾来、作品はすべて文という形をとるのみ。

1964年12月3日未明より9日未明にかけて、長野県 七島八島高原ツンドラ地帯にて「荒野におけるアンデパンダン展 ’64」を開く。 架空の観念展覧会には少数の優れた出席者を得る。
〜〜〜
( 諏訪幻想読本1 松澤宥・Ψの宇宙 )

七島八島高原は下諏訪の近くにあります。

八島ビジターセンター あざみ館
長野県 八ヶ岳中信高原国定公園 霧ヶ峰高原 八島湿原
http://park2.wakwak.com/~vc527000/#yashimashitsugen

 

2016/09/26 naganuma


美術講座「松澤宥の軌跡をたどる」開催


茅野市美術館にて美術講座「松澤宥の軌跡をたどる」が開催されました。
単純に現代アートで語ることができない、松澤作品の詩、絵画、コンミューン、パフォーマンスなど様々な活動での視点からの説明がありました。また当時の松澤ラジオ放送での肉声での活動報告が聞けたりと、実りある講座でした。


在る表現─その文脈と諏訪 松澤宥・辰野登恵子・宮坂了作・根岸芳郎 

(   茅野市美術館)*終了しました。


美術講座「松澤宥の軌跡をたどる」 2016年 9月10日 午後2時22分 
進行/嶋田美子(美術家・60年代研究)
出演/伊丹裕(美術家:Thinking a rtist)、小倉正史(美術評論家)、春原敏之(美術家)、長沼宏昌(写真家)、渡辺彰(詩人)

 

2016/09/26 naganuma


リオデジャネイロでの「コンテンポラリーの出現:日本の前衛美術1950−70」
での展示風景

 

(1981年 サンパウロ・ビエンナーレにも出品していました。

〈ニュークリア〉部門(サンパウロ ブラジル)
 作品:死の寒冷紗マンダラ )

 

 

 


The Emergence of the Contemporary: Avant-Garde Art in Japan, 1950-1970
Installation View
国際交流基金
https://www.jpf.go.jp/e/project/culture/exhibit/oversea/2016/06-02_photo.html


2016/08/19 naganuma



ヨシダ・ヨシエ コレクション (1)

 

亡くなられたヨシダ・ヨシエさんは蛇好きでもありました。書斎のあちこちに残っていた蛇の小物をご子息の亞津史さんから預かったものの一つ。

 確かに蛇柄で、字は

The Correspondence Show, Art Gallery, California State University, Sacrament, April, 7-30th

 

 と読めます。調べてみれば Fluxus の Johnson Ray が1969年に開いた個展で作ったバッジのようです。

  40点近い蛇の小物のなかで唯一、現代美術に関係のあるものです。どんな経路でヨシダさんのコレクションに紛れこんだのか、ちょっと気にはなります。
 
 *当財団では松澤宥の活動を中心として、戦後の現代美術に関する資料も蒐めています (春)